2005.09.18 Sunday ブログをお引っ越ししました。
こちらにお越し下さい。
「女王の教室」第11話。アロハ「真矢」
「女王の教室」終わっちゃった。
寂しくなるなぁ・・・。
真矢(天海祐希)は勿論のこと、和美ちゃん(志田未来)、真鍋君(松川尚瑠輝)、新藤ちゃん(福田麻由子)、お母さん(羽田美智子)、お姉ちゃん(夏帆)達ともお別れ。
最後の授業で「真矢」が強く言ってた子供たちの「気付き」を促す説教も良かった。
我が子も、新しいものや美しいものに出会ったときの感受性の強い子に育って欲しい。
学年主任(内藤剛志)のつぶやきも良かった。
大人は子供たちが乗り越える壁でなくてはいけない。
大人が格好悪いから子供がぐれる。
和美ちゃんと真鍋君の淡い恋物語にも参ってしまった。
中学校に向かって走る和美ちゃんのカバンから「タタッキー」がはみ出してましたね。
天童先生(原沙知絵)が黒いスーツに身を固めて新学期を迎えたシーンは可笑しかった。
「女王の教室」前半の刺激的な演出に対する論争って何だったのだろうと思ってしまいます。
視聴者の反響に驚いたスポンサーが、クレジットを流さなくなったことも、思い返すと滑稽です。
スポンサーは腰が据わってなかったですね。
さて、小生は「女王の教室」を見て、子供が通う学校などでは見ることが無くなった「起立・礼・着席」がドラマの中に生き残っていることに驚き、「仰げば尊し」を歌わなくなったことと関連づけて考えていました。
奇しくも最終回で「仰げば尊し」を聞くことになりました。
小生が勤める地方の学校現場では、第2次世界大戦にいたる戦前の教育への批判から、教師への尊敬心を強制する「起立・礼・着席」や「仰げば尊し」は絶滅しています。
勿論「日の丸」は長くタブーでしたし、他県でも「日の丸」を巡って何年か前に自殺者を出してしまった。
小生も、戦争に大反対ですし、先の大戦も国が国民を誤った方向へと導いたものだと思います。
全体主義や、帝国主義などまっぴらご免です。
ですから、こころならずも戦争で命を失った方々には哀悼の意を捧げ、二度と戦渦に見舞われることがないよう祈るものであります。
この前提に立って言いたいのですが、日教組をはじめとする戦後の教育者の多くは、戦争、あるいは戦争に導いた国への批判から、戦前の教育への「全否定」あるいは「アレルギー」とも言うべき考え方でもって教育を行ってきました。
それ故に「起立・礼・着席」や「仰げば尊し」「日の丸」を子供の目から隠すという形式的な教育に走ったきらいがあって、結局、戦争の本質について学習する機会を奪ってきたように思います。
戦後教育は、エリート教育も否定しましたから、運動会の徒競走でさえ、「1着、2着」などの着順を付けない時期もありました。
エリートづくりだとされた「習熟度別学習」には消極的で、子供の長所を伸ばす教育よりも、総ての児童・生徒の学力を金太郎飴のように平準化しようとする方向へ走ってきたように思います。
あまねく平等に教育を受ける機会が与えられることは大変結構なことですが、それだけでよかったのか考えさせられます。
戦後60年を経て、教育基本法改正の是非さえ議論できない時代が長く続いたことも、やはり誤った戦争の負の遺産でしょうか。
教育基本法第一条には「教育の目的」として、
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」と書かれています。
ここには、戦前の全体主義をいさめるためか「個人の価値」「自主的精神」など、個人に焦点が当てられていて、人を愛する、自然を愛する、地球を愛するなど、公共心や博愛・友愛の精神は具体的に記述されていません。
このことが、今の陰鬱な世相に反映してしまっているような気がするのは小生の思い過ごしでしょうか。
一方、「女王の教室」の6年3組のみんなは、最初は個人主義的だったけど、徐々にクラスを愛し、友人を尊重したり愛すことが出来るようになりましたね。
現在は、自民党が教育基本法に「愛国心」を盛り込む改正案を考えていることに対して、戦前迫害を受けた創価学会を母体とする公明党が慎重な態度を示しています。
公明党は「愛国心」と言う言葉を「郷土と国を愛し」「郷土と国を大切にし」などと言い換えることを主張しているようですが、またもや、本質の議論ではなく、言葉の言い換えという形式論で教育を進めることになるのでしょうか。
「愛国心」と言う言葉には確かに抵抗感がありますが、国を愛するとはどういうことかを議論せずに、他人を尊重したり、他国と仲良くできる人づくりが出来るのか疑問も残ります。
「真矢」は、「今できることをするのです」と訴えていましたが、大人社会や政治の世界も今できる議論を先延ばしせず、過去と未来を見据え、腰を据えた社会づくりを進めたいものです。
少し大袈裟ですが「女王の教室・全11話」に戦後教育の総括を見た気がしました。
ALLESIウォッチ 【AL1000】 ステファノ・ピロヴァノ
寂しくなるなぁ・・・。
真矢(天海祐希)は勿論のこと、和美ちゃん(志田未来)、真鍋君(松川尚瑠輝)、新藤ちゃん(福田麻由子)、お母さん(羽田美智子)、お姉ちゃん(夏帆)達ともお別れ。
最後の授業で「真矢」が強く言ってた子供たちの「気付き」を促す説教も良かった。
我が子も、新しいものや美しいものに出会ったときの感受性の強い子に育って欲しい。
学年主任(内藤剛志)のつぶやきも良かった。
大人は子供たちが乗り越える壁でなくてはいけない。
大人が格好悪いから子供がぐれる。
和美ちゃんと真鍋君の淡い恋物語にも参ってしまった。
中学校に向かって走る和美ちゃんのカバンから「タタッキー」がはみ出してましたね。
天童先生(原沙知絵)が黒いスーツに身を固めて新学期を迎えたシーンは可笑しかった。
「女王の教室」前半の刺激的な演出に対する論争って何だったのだろうと思ってしまいます。
視聴者の反響に驚いたスポンサーが、クレジットを流さなくなったことも、思い返すと滑稽です。
スポンサーは腰が据わってなかったですね。
さて、小生は「女王の教室」を見て、子供が通う学校などでは見ることが無くなった「起立・礼・着席」がドラマの中に生き残っていることに驚き、「仰げば尊し」を歌わなくなったことと関連づけて考えていました。
奇しくも最終回で「仰げば尊し」を聞くことになりました。
小生が勤める地方の学校現場では、第2次世界大戦にいたる戦前の教育への批判から、教師への尊敬心を強制する「起立・礼・着席」や「仰げば尊し」は絶滅しています。
勿論「日の丸」は長くタブーでしたし、他県でも「日の丸」を巡って何年か前に自殺者を出してしまった。
小生も、戦争に大反対ですし、先の大戦も国が国民を誤った方向へと導いたものだと思います。
全体主義や、帝国主義などまっぴらご免です。
ですから、こころならずも戦争で命を失った方々には哀悼の意を捧げ、二度と戦渦に見舞われることがないよう祈るものであります。
この前提に立って言いたいのですが、日教組をはじめとする戦後の教育者の多くは、戦争、あるいは戦争に導いた国への批判から、戦前の教育への「全否定」あるいは「アレルギー」とも言うべき考え方でもって教育を行ってきました。
それ故に「起立・礼・着席」や「仰げば尊し」「日の丸」を子供の目から隠すという形式的な教育に走ったきらいがあって、結局、戦争の本質について学習する機会を奪ってきたように思います。
戦後教育は、エリート教育も否定しましたから、運動会の徒競走でさえ、「1着、2着」などの着順を付けない時期もありました。
エリートづくりだとされた「習熟度別学習」には消極的で、子供の長所を伸ばす教育よりも、総ての児童・生徒の学力を金太郎飴のように平準化しようとする方向へ走ってきたように思います。
あまねく平等に教育を受ける機会が与えられることは大変結構なことですが、それだけでよかったのか考えさせられます。
戦後60年を経て、教育基本法改正の是非さえ議論できない時代が長く続いたことも、やはり誤った戦争の負の遺産でしょうか。
教育基本法第一条には「教育の目的」として、
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」と書かれています。
ここには、戦前の全体主義をいさめるためか「個人の価値」「自主的精神」など、個人に焦点が当てられていて、人を愛する、自然を愛する、地球を愛するなど、公共心や博愛・友愛の精神は具体的に記述されていません。
このことが、今の陰鬱な世相に反映してしまっているような気がするのは小生の思い過ごしでしょうか。
一方、「女王の教室」の6年3組のみんなは、最初は個人主義的だったけど、徐々にクラスを愛し、友人を尊重したり愛すことが出来るようになりましたね。
現在は、自民党が教育基本法に「愛国心」を盛り込む改正案を考えていることに対して、戦前迫害を受けた創価学会を母体とする公明党が慎重な態度を示しています。
公明党は「愛国心」と言う言葉を「郷土と国を愛し」「郷土と国を大切にし」などと言い換えることを主張しているようですが、またもや、本質の議論ではなく、言葉の言い換えという形式論で教育を進めることになるのでしょうか。
「愛国心」と言う言葉には確かに抵抗感がありますが、国を愛するとはどういうことかを議論せずに、他人を尊重したり、他国と仲良くできる人づくりが出来るのか疑問も残ります。
「真矢」は、「今できることをするのです」と訴えていましたが、大人社会や政治の世界も今できる議論を先延ばしせず、過去と未来を見据え、腰を据えた社会づくりを進めたいものです。
少し大袈裟ですが「女王の教室・全11話」に戦後教育の総括を見た気がしました。
ALLESIウォッチ 【AL1000】 ステファノ・ピロヴァノ